結局いいやつ

人の第一印象には色々とある。
「明るいやつだな」「面白いやつだな」「クールなやつだな」様々な第一印象があるうちで俺が彼に抱いた第一印象は“こいつとは仲良くなれないな”である。
早めに部活参加していた俺はそれなりに先輩とも同級生とも仲良くなっていた。そんな中で体験入部として参加してきた彼は一発目に肩パンをし、「ちーって呼んでくれよな」と言ってきた。
俺が1番苦手なタイプだというのは一発でわかった。

ちーとは喧嘩した記憶がほとんどない。大学初めの頃はお互い尖っていて、俺はちーの縄張りにはできるだけ入らないように意識していたのは覚えている。

ちーと言われて思い出すことはどんなことであっても否定しないことかなって思う。
私服のことであっても、考え方であっても、否定されたことがない。だから、甘えて考えを聞いたりする。
俺とは違って人との付き合い方も上手い。準硬だけでなく他の部活でも、バイト先の子であっても友達が多い。かといってその一個一個の繋がりを疎かにしない。

来年度から彼は多忙になるだろう。
でも、大学でつくったその一個一個の繋がりをこれからも大切にして欲しいと思う。

俺的には浜松で働いてくれたら嬉しいな

親父と母さんの子だな

8月12日は親父の命日

お墓参りに行ってきた
なんだかんだで命日にお墓参りに行ったのは今年が初めてだ

少しずつ、親父のいない生活にも慣れが出てきてるなって思う
でも、それが少し怖い
親父のいない生活が当たり前になり、生活でも親父のことを考えることが少なくなってきた


親父の癌が発覚してからすぐに入院生活が始まり、話す機会も減っていった
それに加え、大学で愛知に来たこともあり、あう機会も減っていった


8月12日の朝、いつも通り朝練に行き、1箇所バッティングの投手を終え、ひと段落ついた時に携帯を開いたら20件を超える着信があった
かけ直すと「お父さんが今、息を引き取った」と言われた
頭が真っ白になったのと同時に、もっといろんな話をしておけばよかったと後悔した

思えば、19年間生きてきたが、親父とは野球の話しかしてこなかったなと思う
もっと色々な話をしたかったし、ラーメンを食べに行きたかった、お酒も一緒に飲みたかったな


19歳から22歳になり、顔も性格も変わってきた
笑った時の目尻、寂しがりやな性格、大人数でどんちゃん騒ぎをするところも親父に似てきた


心の底から伝えたいことは家族や大切な人が生きて、話すことができるうちに話しておくべきだ

勿忘

今日、高校2年の時に亡くなったのりくんのお墓参りに行ってきた
前回、お墓参りに行ったのは成人式の時でだいぶ間が空いてしまった

のりくんとは小中高と学校が同じで毎日遊んだような仲だった
俺たちのグループの中心にいるような人ではなかったが、みんなを周りから見守るような優しい人だった



よく亡くなった人に対して
「俺たちはお前のことを忘れないから」
という人がいる
俺も今日、お墓参りに行くまで同じようなことを思っていた

でも、お墓の前に立った時にそんな感情は湧いてこず
「あっちの世界にいても俺たちのことを忘れないで欲しい」
と思った。

俺たちが死んであの世に行った時に、中学の頃のように缶蹴りができるように忘れないでいて欲しい

高校に入って、野球のことでいっぱいいっぱいになり連絡を怠ったことを今でも悔やむ
なにも言わずに去ったことを今でも悔しいと思うよ



のりくんのぶんも頑張って生きるよなんてそんなかっこいいことは言えない
そこまで背負えるほどまだ人間できてないし、自分のことで精一杯
でも、いつか会った時に自分の人生を語れるような人生を送るよ


高校野球とは

f:id:zoozoosea430:20220727191923j:image今回、掛川西高校野球部メンバーの晩ごはんを作らせてもらうという経験をさせていただいている。

 

現役中、父母会や地域の方に「君たちのプレーに勇気をもらっている」と言われることが多かった。

高校時代の尖っていた僕は「そんなことない」「たかが、試合を見てもらっただけでで影響力なんてあるわけない」と思っていた。

 

だが、高校野球を引退して見守る側となった。

今、僕は高校時代に言われたことと全く同じことを球児たちに思っている。

 

大学野球を得て、このぐらいでいいだろうと野球に対して満足片足半分突っ込んでいた。

大人になるにつれ、なにか一つに対して全力で取り組み、夢中になれるものがなくなっていく。

そんな大人だからこそ球児たちの曇りなきまなこが輝かしく、美しく見える。

 

 

なにが言いたいかって、俺たちが高校時代に見れなかった「甲子園」という夢をもう一度見せてくれ‼︎

 

 

ストイック

ストイックという言葉を検索すると

どのような内容であれ、自分で決めたことを厳しく守ること

と出てくる
この言葉が似合う人間を紹介しよう

中山颯斗である

彼ほど自分に厳しく、野球に取り組んでいた人間は俺のまわりではあまりいないだろう

おそらく彼からすると俺という人間は苦手なタイプにあたるだろうと思う
なぜなら、俺が適当な人間であるからだ
先のことを決めず、目先のことで行動するからである

ストイックな人間は先の物事を決める
目標を立てた上で今やるべきことを把握する
そんな器用なことは俺はできない

颯斗のことを100%理解できているかと言われるとできていないと思う
だが、尊敬はしているし、頼りにもしている

この間、投手のランメニューを決めようと迷った時にすぐに連絡したのは颯斗だ笑


これからもおそらく適当な性格はなおらないと思う
でも、こんなチャランポランな俺と仲良くしてね💕


神様がバッターでもインハイ、アウトロー

“神様がバッターでもインハイ、アウトロー

この言葉は中学生のころから意識していることだ
現役時代、この言葉を体現したことは一度もない
アウトローに投げ込むことはできても、インハイに投げ込む勇気はでない
自分の持ち味はインコースに投げ込めるチカラだと思っていた
しかし、顔付近のボールは体に当ててもいいと思っていても投げ込むことは容易ではない

今、選手を見る側にまわって、感じることはこの言葉を体現することのできる投手は球が遅くても打ち取ることができるということだ

準硬式野球ということもあり、金属バットを使用する
しかし、なかなかインハイ、アウトローを打つことのできる打者は少ないだろう

選手をやめて学生コーチにまわった今だからこそ選手に言えることができる



神様がバッターでもインハイ、アウトロー